連載コラム 『NEW VOYAGE!!』

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こんにちは!

突然ですが、皆さんは、母牛の気持ちって考えたことありますか?

私は、夫の農業者仲間の長野県の牧場に行ったとき、母牛に強く共感した思い出があります。夏の暑い日でした。牧場の牛から搾乳した牛乳から作られた濃厚なソフトクリームを戴いた後、少し離れた牧場に遊びに行きました。

広い牧場の草っぱらに横になり日向ぼっこをしながら休んでいる乳牛が、私には、牛乳を搾乳するための乳牛では無く、一頭の母親に見えました。「もぉ~。もぉおお~。」とピクリとも動かずに、気だるそうに鳴くその牛が、授乳期間中の疲れて動けなくなっていた自分と重なりました。

人間の母親でも母牛も同じだと思いますが、傍から見れば(授乳したことの無い子どもや女性、男性等)、赤ちゃんのいる母親は、ごく自然に特段苦労もなくおっぱいをやっている、むしろのんびりと幸せいっぱいの姿である様に見えるのだと思うのですが、その裏で、母親の体中は、おっぱいを生成し分泌する為に総動員で働いていて、そのこと自体が体力を使い何とも言えない強い疲れがあるという事実があります。それは傍からは、見えにくく、その為読み取りにくいものです。

私は娘に牛を見せてやることを忘れて、母牛の鳴き声に合わせて、「もぉ~。もぉおお~。」と何度も鳴きました。そして、考えました。餌をたっぷり与えられ、ぐるぐる回る機械に入れられ、定期的に運動をさせられて、体力をめいっぱいに使って、後はただひたすらに、次々におっぱいを生成し、それをひたすら機械で搾乳されて、人間様の元に運ばれていくその毎日が、母牛にとってどんなものなのかと。

私がおっぱいを生成したら、それは漏れなく娘に与えることができます。母牛は、そして母牛の体は、自分の孔子のことを思いおっぱいを生成分泌しているはずですが、実際にその子の為に、少しでもおっぱいをやることができるのでしょうか。

人間は、自然界の動物と同じです。自然界から動植物の命を戴き生きています。ですので、家畜を育て、牛乳を飲んだりお肉を食べたりすることはいけないことだとは全く思いません。むしろ、人間に命がある以上、自然界の中から少しずつ色々な食べ物を分けてもらいながら生きていくしかありません。でも、牛のおっぱいである牛乳を、人間が戴いているそのことは当たり前なのでしょうか、そしてその量は適量なのでしょうか。日本では、保育園、幼稚園、学校の給食、各家庭等で、幼児期から習慣的に牛乳を飲んでいます。でも、そんなに大量に牛乳を摂取する必要はあるのでしょうか。そして、その大量生産の為にシステム化された搾乳を強いられる中で、母牛の健康な状態は保てているのでしょうか。

決して乳牛を育てる仲間の業界や業態を邪魔したいのではありません。牛乳を作ることや売ることは決して悪いことではありません。牛の例はほんの一例で、一つ一つの私たちの食の在り方が、本当に必要なのか、どれだけ必要なのか、どのようなものがよいのか考え直されるべきであると考えるのです。

牛乳は、牛のお乳です。人間には人間のおっぱいがあります。離乳しても、水やお茶、美味しい飲料や水分を摂取できる食材や食事が他にも沢山あります。カルシウムの摂取も、牛乳一辺倒では無く、他の食材からバランスよく摂ればよいのです。牛乳さえ与えておけば栄養面は安心とばかりに牛乳を摂取し過ぎていないでしょうか。牛に負担をかけすぎていないのでしょうか。たまに飲む、では不十分なのでしょうか。

そのような偏った食事によって、動植物への負担が掛かることや、生産や育成工程が不健全になることが往々にしてあるということを、どれくらいの人が考えて普段の食生活を営んでいるのでしょうか。

牛だけではありません。ギュウギュウに詰め込まれた鶏舎の中で、病気にならない様にワクチンまみれになりながら、餌を必要以上に大量に与えられて不健康に太らされて育った鶏は、可哀そうではないでしょうか。そのような鶏を食べることは私たちにとっても不健康なことではないでしょうか。

国内の農産物、また輸入した農産物には、農薬がどれくらい使われているのでしょうか。育てた土壌は、何かに汚染されていないでしょうか。加工品には、本来食品でないもの、入れる必要のないもの、危険なもの、味覚をおかしくするものが添加されていないでしょうか。考えるべきことは沢山あります。

神経質になる必要はありませんし、何にでも許容量があります。しかし、何も考えずに何でも大丈夫と思って、ただ一見美味しいと思うもの、安くてお得だと思うものを何となく選んでしまっていないでしょうか。そもそも美味しいと感じているその味は、何の味なのでしょうか。食材の甘みでしょうか、それともサトウキビの砂糖の甘みでしょうか。もしかすると、人工甘味料の作られた甘み・うま味ではないでしょうか。

人間の体は食物で出来ています。人間の心と体、脳のパフォーマンスには、摂取した食物の質がとても大きく作用します。具体的な数字は調べればいくらでも出てきますので、ここでは詳しく述べることはしませんが、もっともっと自分の体に入れる食べ物を真剣に考える人が増えるといいなと願って止みません。

ここまでお読みになって、レベルが高く、日常生活に取り入れるのが難しい話だと思われた方がいるかもしれませんが、安心できる食卓を実現するのは、そんなに難しいことではありません。実はとてもシンプルです。

地場で採れたもの、つまり近くの知っている土地で育ったものや、生産者の顔と生産方法が分かるもの、加工されていない野菜や果物、穀物等の添加物の無いものの中からよい食材を選び、自分で調理し、よく選んだ少ない調味料でシンプルに味付けすれば、見えない・分からない危険は減り、鮮度良く余計な添加物の無い自然のうま味・恵みをそのままに近い形で生かして戴くことができると思うのです。

子どもに与えるものでも大人のものでもそうですが、間食のおやつも、添加物いっぱいの加工品代表の『お菓子』ではなく、食物を中心にした添加物の無い又は少ないできれば簡単な手作り『おやつ』を中心にすることで、食物の本来の味を味わい、味覚や嗜好を異常にすることなく育て、本当の美味しいを感じる健康で幸せな生活を生涯送ることに繋がると思います。

現在、日本の加工品やそれを代表するお菓子類には、物凄い量の添加物が入っています。その代表としていくつかありますが、人工甘味料は何にでも、不適切な量を入れられています。精白された砂糖でも健康に良くないのはご存知のことだと思いますが、ほとんどの加工品に添加されている大量の人工甘味料は、もはや植物由来の食物である砂糖ですらもありません。

私は、自分の食生活を考える時、砂糖の弊害をいつも思います。依存性が強く、摂り過ぎが万病の元となる砂糖がコンビニの塩おにぎりにまで入っていて、無意識に大量に摂取し続けることで、気が付かないうちに、砂糖依存症になっている現実だけでも恐ろしいことです。しかし、それ以上に恐ろしいことは、食品添加物の中でも自然由来の食物でない人工甘味料の味、人間の味覚で美味しいと感じる様に計算しつくされて作られている人工物の味を美味しいと感じて生きている事実、また、味覚を育てる幼いころから人工甘味料やその他の人工添加物の味を美味しいと感じ、子どもがそういうものを好んで食して成長していくことです。人間が自然界で生きていく為に、生まれながらにして持った素晴らしい能力を自ら破壊していっているという現実に、とても辛い気持ちになるのです。

旬の野菜等の食材を、それ自体のうま味を生かした調理方法で本当に美味しく戴くその時、私たち人間の体も心も喜びを感じる様に本来はできています。そうやって本来あるべき姿で、自然のご馳走を戴くことの贅沢さ、少しでも多くの人に気づき立ち返ってほしいなと願って止みません。

家事や子育てのメインが働く女性であることが大半の日本社会において、毎日、献立を考え、調理サイトを調べて、昨日とは違う何か1品か2品の主菜や副菜を用意することは、とても大変なことです。しかし、食材の本来の良さをシンプルに引き出す調理をすることは、目新しい献立を考えるプレッシャーも、豪華に仕上げる為の手の込んだ手間も必要が無く、とても楽ちんな方法です。

また、家族の注目も、今日の献立の如何や調理の腕に向くのでは無く、今日の食材に向き、一緒に今日の食材や旬を楽しむことに繋がり、とても楽しいものです。総合的に、調理担当の女性、母親、家族の負担が減る方法だと感じます。

具体例で言えば、庭で採れたなすがある場合、「なす、パスタ、美味しい」と検索して、美味しそうでお洒落なパスタを選び出して作ろうとしなくても、シンプルに揚げて美味しいつゆや出汁に付けて揚げびたしにするとか、みそ汁に入れる等、簡単に思い付いた調理をする中で、その食材を生かすように考えるということです。

また、簡単に野菜やきのこ、芋等の食材を美味しく甘みを引き出そうとするのであれば、他の家事や調理をしている間に、鍋に水と簡単な蒸器を入れて食材を蒸してみて下さい。カレーの具でも、みそ汁の具でも、適当な分数タイマーを掛けて蒸しておけば、火の番の手間は掛からないですし、後からみそ汁やカレー等に入れて、なじませる為に少しだけ一緒に火にかければ、焼いたり煮たりした野菜と比べ物にならないくらい、もっちり甘い美味しい具になります。サツマイモやカボチャ等なら、それだけでとても柔らかくて甘いご馳走になります。スピード重視で、電子レンジやフライパンで焼くことが主流となり、コトコト煮る、ましてや蒸すという調理がされることが減っているので、ゆっくりと熱を加えることや、水分を逃さないようにすることだけで、こんなに美味しさが違うのかとびっくりすることと思います。

皆さんが、普段口にするものを「これでいいのか、どれがいいのか」を可能な範囲内で考えて選び、「それを生かす」ことを考えて調理をして、それを家族みんなで楽しめば、心も体も健康に長く生きていけることに繋がると思うのです。是非、冷蔵庫や保存庫の中、畑の中を覗いてみて、蒸したら美味しそうなものを探して蒸してみるということも、楽しんでみて下さい。
こんにちは!
 私は常々、世界中の人々が、健康な心と体を整えて、幸せに暮らせる社会になればいいなと思っています。一人一人にできることは小さいですが、自分にできる小さな行動は、いつもしていたいなと思っています。
 さて、イカリファームは、農業を営む会社ですが、農業や自然、食事、健康、幸せってどのような関係にあるのでしょうか。
私は、「健全な自然環境」→「農業=健康な動植物の育成・生産」→「販売=健康な動植物を食材として健康な状態のまま届ける」→「健全な食事」→「一人一人の心身の健康・幸せ」→「より良い社会の創造」と繋がって行くイメージを持っています。
農地の集約により、個人農家から大きな農業経営体に生産が集約されてきた今、生産するだけでなく、農産物を販売し、皆さま一人一人に健全な食材・食事を提供することまでを、一つの農業経営体が担うことが、時代の大きな流れになってきています。
 そんな中、健全な自然環境の土台の上に成り立つ健康な動植物の育成・生産・販売という役割を持つ農業に携わる訳ですから、自然環境を破壊しないことは勿論、健全な状態を守り、出来る事ならば環境を良い方向に向かう様に出来る限りのことをするということが求められていると考えています。そうして環境のことも考えながら健康な植物である農作物を育てること、そしてそれをそのままの状態で届けることに、私たちは、本業として真剣に取り組みます。
 科学技術が進歩し、情報化の進んだスピーディーで合理化された社会においては、この「まっとうな農産物の生産」や、「まっとうな食材の販売や食の提供」の実現は、思いの外、障壁が多いというのが事実です。皆さんの食べている植物としての農作物は健康なものなのか、畜産業界で育てられた肉や乳製品の元となる動物は健康なものなのか、真剣に追求して考えていくと必ずしもそうでない部分が多く見えてくることと思います。
 具体的に、何が障壁なのか、ここでは深堀はしませんが、このコラムでも断片的には、様々な形で話題に上ってくると思います。
 一人一人の心身の幸せに直結する健康には、健全な食事、運動、睡眠が必要ですが、その健全な食事をする為に必要なまっとうな食材、つまり健康な動植物が生産現場で作られ、流通と販売によりその健康な状態を保ったまま届けられるということが、皆さん一人一人の健康と幸せにとって大前提として重要なことだということを、社会の一員である一人一人が認識することがとてもとても重要な事だと感じます。
 イカリファームでは、「まっとうに作る」、「まっとうに届ける」という当たり前を、当たり前に一番大切なこととしています。
農作物を育てる「生産」を行う際は、自然の有機物である牛の堆肥や琵琶湖の水を使った土づくり・作物育成をすることで、環境にも人にも優しい農法を行い、温等消毒を行う等することで、余計な質・量の農薬を使わずに、最小限の農薬使用に抑える工夫をしています。
自然の栄養豊富な土からできた作物は、当然のことながら、自然と美味しく育つもので、そこに余計なものを加えない、余計なことをしないということを大切にしています。
 また、お客様にお届けする「販売」を行う際は、自然の中で自然な形で育った美味しい農産物を、そのままの形でお届けする為に、保管や販売、運送の過程で、余計なものが加わったり、余計なことが行われたりしないよう細心の注意を払っています。
例えば、高温や湿気や日光で質が悪くなることが無いように保冷庫で適切に保管する、精米したてを販売する等のようなことは当然ですし、加工品や外食産業、お米屋さんのように様々なお米をブレンドしたり、化学調味料を添加して、一つ一つの食品情報や食味が不明確になるようなことや、ごまかされるようなことは行いません。例えば、一袋一袋のお米が誰にどこでどのように作られたどのような品質のものなのか分かる形でお届けするという普通のこと、当然のことをまっとうしたいという思いで「生産」「販売」を通して一貫して行っているのです。
 このコラムを読んで下さった皆様や、イカリファームの農産物をいつも食べて下さっている皆様が、日々自分の食べる食べ物について、どのようなものをどのように食べたいかということをそれぞれの意思を持って選択し、本当の意味で心身共に健康・幸せな毎日を送って下さることをいつも願っています。
 堅苦しい話になりましたが、食べることに限らず、五感を通して自然のパワーを存分にもらうことは、他には代えがたいパワーで、私たちをとても元気にしてくれるものです。
イカリファームのある琵琶湖のほとりの自然の景色も、いつも私たちを元気にしてくれています。おかげで皆、心身ともにびっくりする程、健康です。
遠方の方々も含め、まだお会いしたことの無い皆様が、近い将来にお店と農場に遊びに来ていただけることを楽しみに、いつも変わらず、日々の農業に勤しんでいたいなと思います。
太陽の日がまぶしい季節になりましたね。庭の野菜も、朝と夕で姿が変わるほど、ぐんぐん大きく伸びていき、あっと驚く毎日です。

さて、私は小さい頃から、食べることが好き、作ることが好き、自然を感じることが好きということが合わさって、旬の食材を使って美味しいものを作って食べて楽しむことが大好きです。特に、初夏は、次々と旬の野菜や果物が採れる為、食べないといけないものだらけで大変です。

昨夜は、採れたての大きなトウモロコシや枝豆を茹でたてでいただきました。塩加減に気を付けてただ茹でるだけ、これだけでもなんと甘くて美味しいことでしょう!と感動してしまいます。トウモロコシを茹でるのは、水から、お湯からと色々な方法がありますが、私は水からギリギリ沸騰しない火加減でじっくり火を通し、しっとり甘く茹でるのが好きです。

さて、今日は、毎年5月下旬から6月初めの頃の季節のおやつを紹介します。それは、皆さんご存じの和歌山の南高梅を使って漬ける「梅シロップ」です。丁寧に洗って拭いてヘタを取り、凍らせた梅と氷砂糖を順番に、瓶に入れて、毎日フリフリし、10日程で、溶けたシロップの中に浮かんだ梅を取り出して弱火にかけて冷やすだけ。

香りは、梅の甘酸っぱいとてもよい香り、味はこれこれという梅の味と氷砂糖の合わさったさわやかな甘みがして、心をとても落ち着かせてくれます。

楽しみ方の定番は、炭酸割、水割りです。先日は、フルーツポンチに、炭酸割した梅シロップをかけていただきました。お気に入りのビンに入れて、冷蔵庫に保管しているので、思い付いたときにいつでも気軽に戴いて、自分を喜ばせることができます。冷蔵庫に一つ旬の手作りの一品、自分にとっての逸品があるだけで、毎日の生活がとても生き生きしてきます。

取り出した梅は、そのままむしゃむしゃ食べたり、ヨーグルトに入れて戴いたり、そのまま刻んでジャムにしたり、寒天ゼリーに入れたり、気軽に色々な形で楽しむことができます。

この初夏、ギリギリまだ間に合う『梅シロップづくり』、皆さんも楽しんでみませんか?

一年を通して、旬ごとの手作りおやつ、ご紹介してゆきたいと思っています。お楽しみに!!
皆さん、こんにちは!

先日、BBQをする機会がありました。お肉は勿論、海鮮を焼いたり、ダッチオーブンで鶏肉やじゃがバターを焼いたり、素材の味をとても美味しくいただきました。自然のものを自然のパワー、遠赤外線で戴くと私たちも不思議とパワーが湧いてくるので不思議です。

ところで、その時、私は野菜を切る役をしたのですが、いつも迷うことがあります。椎茸の軸をどうするかということです。家族の為に調理する際、石突きの下の方の硬い部分のみを切り落とし、残りの軸は食べやすい大きさに切って食べるのですが、よその家庭では、軸は全て切り捨てて食べない方が結構いるからです。

自然の動植物の命を食材として戴く時、当然ながら、食べることが出来る部分と、食べることが出来ない部分があります。例えば鶏を戴く時、鶏の毛、嘴、鶏冠…等食べることが出来ない、もしくは食べることが難しい部分があり、逆に、胸肉、もも肉、手羽先等のように、美味しくて食べるのに適した部分もあります。

さて、ここで今日の話題なのですが、「食べることが出来るが、美味しい部分に比べて味や食感が劣るため、取り除くことも多い部分」という、私たちが食べるかどうかのグレーゾーンが存在すると思います。
例えば、肉や魚の骨や皮、椎茸の軸、肉や魚の脂身、パンの耳…等です。皆さんは、それらの部分を食べますか?それとも、調理の段階、または食べる段階で除いて食べないことが多いでしょうか。

今日は、「全体を食べる」ということをテーマにお話したいと思います。私は、鶏の皮が好物です。煮たときは、プルプルとしていて甘く、コラーゲンたっぷりな雰囲気もたまらないですし、焼いた時のカリッとした食感やジュワッと染み出す油の味も好きです。しかし、娘は、「鶏のプルプル、苦手~。」と食卓に出ると嫌な様です。こういった好みの違いは、食べるのに適した部分か、グレーゾーンの部分かに関わらず、ただの好みの違いだと思います。

苦手なものは、無理して大量に食べる必要はありませんし、好みがあることは食を楽しむうえでむしろ良い事だと思います。こういった、好みの話ではなくて、例えば鮭の皮でも、椎茸の軸やパンの耳等でも、「食べようと思えば食べることが出来るけど、率先して食べたいとも思わないな。」と感じた場合に、食べるという選択と除いて食べないという選択ができる場合、どちらを選ぶことが多いかどうか、考えてみていただきたいなと思います。

私は、例えば魚でしたら、柔らかくて小さく喉に刺さらない骨でしたら食べますし、皮や魚の頭もできるだけ食べます。頭を丸ごと食べることが難しい大きさの魚の場合、目の周りは苦手なので残しますが、顔の周りの肉、特に頬肉等は身がきめ細やかで柔らかくて美味しいので丁寧にとって食べます。できるだけ、食べることが難しい部分、どうしても苦手な部分だけを残すようにしています。また、血合いの部分は、苦手ではあるのですが、女性として鉄分が不足しない様に食べるようにしています。
そうしていると、最後、お皿の上には、白くなった眼玉と、鱗や尾ひれや骨や歯などの硬い部分等、食べるのが難しい部分だけがのこります。

現代人は、魚より肉を食べる機会が増えたことで、魚を食べる頻度自体が減りましたし、たまに食べる際にも、全体を食べる意識をする人が減ったことで一匹の魚から摂取している栄養が少なくなっていると感じます。私たちの親、祖父母世代の方の魚の食べ方と、若い方や子どもの世代の魚の食べ方は随分違うという感覚は、皆さんにも分かって頂けるかなと思います。世代が上に行くほど、よく魚を食べますし、綺麗に魚の全体を食べますよね。
魚の骨には、カルシウムやリン・マグネシウム・ビタミンD・鉄分・葉酸・アミノ酸等の栄養価が沢山含まれていますので、骨ごと食べると、除いて食べる場合と比べて栄養価が大きく上がります。中でもカルシウムは、種類にもより幅がありますが、5-10倍も、摂取量がアップするそうです。

魚を骨ごと食べるコツとしては、「酢」等酸性の食品を利用する方法(南蛮漬け等の酢漬け等)や焼いたり揚げたりする「加熱」する方法があります。サービスのよいお寿司屋さんで、刺身を食べた後の骨と皮、残りの肉を姿揚げしてもらった経験のある方がいるかと思いますが、バリバリと骨と皮と頭まで丸ごと戴くと、とても美味しいですし、何だかとても嬉しい気持ちになりますよね。
私は、心身の健康には、体と心だけでなく、脳の働きに必要な栄養素を摂取することがとても大事だと考えています。種類にもよりますが、魚は全体的にこの脳が喜ぶ栄養素が豊富に含まれていることはよく知られている事です。ぜひ、心と体と脳が喜ぶ食材「魚」を食べる事や、できるだけ全体を食べる事を楽しんでいただきたいです。

先日パン屋さんに行ったら久しぶりにパンの耳が売っていました。今度サンドイッチを作る際、パンの耳を除かずに食べる、または、除いて後から別に揚げてラスクにして食べる等にチャレンジしてみようと感じた出来事でした。

1回の食事を作る際、なるべく全体を買うことや(魚なら切り身より、半身、半身より一匹)、その食材全体を最大限生かすことを意識すること、また、食事を摂る際、その一皿から最大限に栄養を摂取することを意識して、毎日の食事をしていくことは、私たちの生活を生き生きさせることに繋がると思います。

『一物全体』という言葉があり、「一つのものを丸ごと食べる」という意味ですが、一つのまとまりのあるものは、色々な面でバランスがとれている上に、何か特別な働きが期待できると言われています。穀物の皮や胚、野菜の皮には、それ以外のところには入っていないビタミンやミネラルなどの栄養が含まれますし、皮や芯等の硬い部分には、食物繊維が豊富なため、腸の健康に役立つことが分かっています。

私たちの生産するお米でいえば、籾ごと食べることはできなくても、精米した白米ばかりではなく、玄米や発芽米も食べる様にすること等も全体を食べることに近づきますし、野菜はなるべく皮を剥かずに、たわしで擦って丁寧に洗って食べる等もできますよね。

皆さんも、今日から「全体を食べる」を意識して、楽しい食生活と心身共に健康な毎日を送っていきませんか?
 皆様、こんにちは!今日も新しい一日を気持ちよくスタートしましたか?

さて、突然ですが、皆さん、幸せですか?私のパソコン画面の向こうから、「まぁ、幸せだけど?」って声が沢山聞こえてきたような気がします。うーん、と少し悩んで幸せは幸せだけどって思うと思います。

 きっとこれを読んでいる皆さんは基本的にはとても幸せだと思います。読んで下さっているということは、仕事や家事や育児に追われてちょっとした自分の時間も全く無いという状況ではないのでしょうし、きっと最低限の食事・睡眠・運動が満たされている方が多いでしょう。また、生活を支えるお金を得る手段としてのお仕事や、人生を楽しむ為の家族や友人、趣味や楽しみもお持ちのことでしょう。

 でも、では、何が満たされていたら、「うーん、多分幸せ」の状態から「うん!めっちゃ幸せ!!!」と言える状態になるのでしょうか?これは、「家族と仲良く暮らすこと」「仕事が充実すること」「趣味に没頭できること」「美味しいものが食べられること」と、人それぞれ違うと思うかもしれませんが、私は、どの人にも共通して、ベースとしてもその上に積み上げる+アルファの事としても、結局一つのことに集約されると思うのです。

 それは、『心身の健康』です。考えてみて下さい。不安に思うこと、心配に思うことが無くて、心が安心できるスッキリと穏やかな状態で、痛みや痒み、倦怠感や眠気、不快感等の不調が無く体が軽く元気だったら…
たちまち目の前に、「家族」「御馳走」「趣味」「レジャー」…そんなご褒美がわざわざなくても、とても幸せに思えるのではないのでしょうか。

 むしろ、心身が軽やか元気だからこそ、「家族や友人との触れ合い」や「御馳走」、「楽しい趣味」や「やりがいのある仕事」を求めるのではないでしょうか。

 きっと私たちは、根っこである『心身の健康』の充実を飛び越えて、その先の枝葉である『お楽しみ』に気をとられて、それを充実させることで幸せになれると勘違いしてしまってはいないでしょうか。

 体調が悪いのに栄養が不十分なカップラーメンや菓子パン、お菓子を食べて気を紛らわせたり、毎日デスクに座ってばかりで運動不足なのに休日はテレビやYouTubeを見て過ごしたり、気持ちが沈んで元気が無いのにSNSで人の楽しい生活を見て余計に落ち込んだり。

 「健康」という言葉は、どこでも誰でも言っている聞き飽きた陳腐なものに聞こえるのかもしれませんが、健康を害する情報や娯楽の多い現代においては、健康をもっともっと重要視し、最優先することが、幸せになりたい人にとって、必要不可欠なことだと感じます。

 先程の例でいえば、体調が悪いのであれば、自炊した食事を摂り、寝具を整えゆっくり休んで、少し気分が良くなったら、家族や友人と話したり外の景色を眺めたら、体調が回復し心も安らぐのではないでしょうか。

運動不足なら、毎日できるだけ徒歩を増やし、景色を眺めながらの散歩や軽い運動をしたら、体の痛みやこわばりが取れ、体力が付き、疲れ目も癒され、心地よい空腹を感じるのではないでしょうか。

 気分が沈んで元気が出ないなら、ゆっくり眠る、籠って漫画を読む、大好きな人とおしゃべり等、自分に合うストレス発散方法を試したら、自然に再び心が元気になってくるのではないでしょうか。(人と会って元気になる外向型、一人で籠って元気になる内向型、自分がどちらか、又は、今日がどちらか自分で分かりますよね?)

 私は、幸せって健康だと思います。そして、現代には健康の敵、つまりは、幸せの敵が多過ぎるなと思っています。敵に意識を向けていては幸せになれませんので、健康を害するものを批判・攻撃する必要はありませんが、賢く回避し自分の健康と幸せを自分の力で守る『health literacy』(今、作りました(笑))を皆で高めて、皆が幸せな社会になっていくことをいつも願っています。そして、つぶやきに近いものではありますが、そんな情報をどんどん発信していきたいと思っています。
私が、株式会社イカリファームの現社長井狩篤士と結婚して、今年の8月で6年になります。結婚指輪に刻む言葉を何にしようか相談していた時、見本の言葉の一覧に乗っていた『New Voyage』という言葉を見つけて、「New Voyageって何かいいね!」「新しい航海かぁ!ほんとだ、何かいいね!」と意気投合し、ノリノリで指輪にこの言葉を刻みました。

今でも毎朝起きるたび、「さぁ今日も、(昨日のことはさておき、)新しい一日だ!!」という気持ちで小さな航海に出発する気持ちで布団を出ます。

さて、この度、兼ねてから準備をして参りました、新しい直売所を本格的にオープンすることになりました。6年前、現会長と社長と4名ほどの社員で耕作をしていた頃から色んな面で成長してきたイカリファームが、とうとう表通りに出て、皆さまに分かりやすい場所で、お米を皆様にお届けすることができるようになりました。

2年前から始めた『収穫祭』や、『乾燥調製作業の受託』に引き続き、地域の皆様やここにお越しになる全ての方に門戸を開き、皆さまと楽しく繋がれること、そして様々な形でお役に立てることを願って止みません。

そして、その一つとして、様々な場面で、イカリファームから皆様へ、農業や食、健康や幸せ、自然や文化等、楽しい情報をお届けしたいなと思っております。この連載もイカリファームに関わる全ての方へ向けての情報発信の一つの場としてスタート致します。

この連載スタートが、皆さんの新しい一日や人生の楽しい航海に繋がります事を祈り、連載コラム『New Voyage』と名付けることに致します!どうぞ、よろしくお願い致します。