2021年1月

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皆さん、こんにちは。1月は行くとはよく言ったもので、もう数日で2月を迎えますね。

前回のコラムでは、目的や願いについてお話しする中で、死ぬ時に後悔することについても書籍を引用してご紹介させていただきました。

その中に、5 自分のやりたいことをやらなかったこと、6 夢をかなえられなかったこと、22 自分の生きた証を残さなかったこと等といった、自分の想いを叶えなかったことが姿や形を変えて、沢山出てきていました。

自分から生まれる「興味」や「熱意」、「夢」や「希望」をごまかしていると、とても後悔するのだということがよく分かりますね。

最近、とても気になっていた映画「えんとつ町のプペル」という映画を観ました。どうして気になっていたかというと、原作者の西野亮廣氏の、「ディズニーを超える映画を個人の集まりで作る」という挑戦や、「挑戦者が笑われる時代を終わらせに来た!」という熱い想いにとても心を動かされたからです。

クラウドファンディングを始め、常に時代に先駆けて新しい事に挑戦する西野氏ですが、いつの時代も、新しい事、つまり皆がまだ考えの及ばない事をするというのは、とても大変な事です。

「何を言っているのか、意味が分からない。」「そんなの無理だろう。」「ほら、失敗した。だから言ったのに。」、何も挑戦してもいない周囲から、心無い言葉や態度で笑われ、叩かれることが多いです。

しかし、今皆が受け取っている便利なものや楽しいものは、こうした先人の苦しい戦いの上に成り立っているのです。そして、初めから成功すると分かっていたことは一つとして無いということです。大抵は先行き不透明な暗中模索の中から努力による必然や偶然が重なって生まれたりしたものです。つまり、きっとうまく行くという希望を信じ抜いて、頑張り続けた人の粘りがあったからこそ生まれたものです。

作品の中では、『星があるかどうか分からないけど、ないことも分からない。』という主人公のセリフがあり、このメッセージが場面や人物を変えて何度も届けられます。

出来るか出来ないか、実現するかどうかの未来は、誰にも分かりませんが、出来ないと考えて諦めるのも、出来る可能性もあると考えて挑戦してみるのかは、自由ですが、挑戦してみることができれば、やり切った達成感もあるし、結果も見えるし、経験で分かったことを次に活かすこともできるし、何より後悔もしないということです。

イカリファームでも、これまで、他にない挑戦をしてきましたし、これからも、新しい挑戦を続けて行きます。一人ひとりの個人としても、チームとしてもあるかどうか誰にも分からない星を、「あるかもしれない!!」と見に行く行動をしたいのです。

そして、きっと、星はあると想います。

「大きな一つの星が強く逞しく輝いている」かもしれませんし、「満点の星が広がっている」やもしれません。もしかしたら、「星は無いけど、すごくきれいな空が広がっている」かもしれません。

夢は分からないから楽しいとも思います。

西野氏の舞台挨拶では、「こんな時代を子ども達に渡せない!」と語っておられ、心から共感しました。どんな時代を子ども達に渡したいのか、その願いや夢に合う挑戦を、私たち大人はしていきたいものです。そんな仲間の輪が少しずつでも広がって行く事を願って止みません。
「抱負」
新年が明けて、もう二十日が経ちましたね。ご挨拶が大変遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、皆様は、この新しい一年間に何か抱負を持たれて、新年を迎えておられますでしょうか。

年末年始であろうと、他の時期であろうと、日々は切れ目なく繋がっていて、実際には何かが違う訳ではありませんが、日本人に限らず、世界中で、季節のイベントや節目というものが自然と生まれ、それが生きることの楽しみや良い意味での切り替えポイントになっているのは面白いことですね。

日本に住む私たちにとっては、年末年始は、誕生日や、4月から3月の年度等と同じで、一年間の区切りの節目の一つです。

お正月に始まり、大晦日に終わるのが、日本の四季のイメージですね。

私も、多くの日本人と同じ感覚で、12月から1月になると、新しい一年をどのような一年にしようかなと考えます。

皆さまはどのような一年にしたいと考えられているでしょうか?「早起きをする」「ダイエットをする」「勉強をする」等、〇〇をする!という具体的な目標を挙げて頑張り始めている方もおられるかなと思います。

具体的な行動の目標は、とても大切ですね。しかし、最近私は、目標よりも、もっと大局のものである、願いや目的、方針といったものがもっともっと大事だなと感じています。

何故なら、具体的な目標は一つの手段に過ぎないと感じるからです。具体的な目標だけを考えていると、せっかく立てた目標も、次第に色と意味を見失い、ただしなければならない、心にとっては負担でしかないタスクとなってしまいがちだからです。

「早起き、早起き。」「ダイエット、ダイエット。」「勉強。勉強。」と考えていると、だんだんしんどく、嫌になってしまいますよね。

きっと、早起きしようという考えの奥には、「規則正しい生活で健康になりアクティブに過ごしたい。」や「時間を有効に使いたい」という、もっと大きな願いや目的があるでしょう。

ダイエットについても、自分のボディイメージや成し遂げた自分に自信を付けたいのかもしれませんし、どんな素敵な服も着こなしてみたいという想いが根本にあるのかもしれません。

勉強だって、勉強して身に付けたことを活用して、何かチャレンジしたいとか、誰かと繋がりたいという想いがあるのかもしれないですよね。

究極的には、その目標は叶わなかったり、失敗したりしても、大きな目的や願いが叶えばそれでよいとも言えます。

大きな目的や願いを叶える為の手段は、一つだけではないですし、途中で変わる事もあります。

私たちは普段から、ややもすると、「あれしなきゃ。」「これしなきゃ。」と大きな目的を忘れて目の前のタスクに追われてしまうことが多いように思います。

「あれしなきゃ。」「これしなきゃ。」という心の声が聞こえたら、本来の目的を思い出し、「本当にしなきゃいけない?」「ほかに方法はない?」と考えたいと考えます。

本来の目的にとって必要ならば、頑張るのも良いですし、必要でないなら辞めたら良いですし、もっと良い方法があるならば切り替えれば良いのだと思います。

新年や自分の生き方を考える機会にあっては、自分の心をじっくりと洞察して、自分の心の動くこと、自分にとって本当に意義のある願いや目的を見つけることが何より大切だと感じます。

自分の死ぬ時に、どう生きてきたことが自分をより満足させるのか、一日の終わりに振り返って、自分が喜びを感じるのはどんなことなのか、自分はどんな時に笑顔になれるのか、楽しいのか、それを正しく知るということが、楽しく元気に、そして後悔無く生きる為に唯一必要なことなのではないかと感じます。

以前、「死ぬときに後悔すること25」という、終末医療に携われて来られた医師の書かれた書籍を読ませていただいた時、究極的には、どんな人もこの逆をすることが後悔の無い人生を送ることに繋がるのだなと感じました。この書籍に記された、多くの方が「死ぬときに後悔すること」を引用して、ご紹介致します。
1 健康を大切にしなかったこと
2 たばこを止めなかったこと
3 生前の意思を示さなかったこと
4 治療の意味を見失ってしまったこと
5 自分のやりたいことをやらなかったこと
6 夢をかなえられなかったこと
7 悪事に手を染めたこと
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと
9 他人に優しくしなかったこと
10 自分が一番と信じて疑わなかったこと
11 遺産をどうするかを決めなかったこと
12 自分の葬儀を考えなかったこと
13 故郷に帰らなかったこと
14 美味しいものを食べておかなかったこと
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16 行きたい場所に旅行しなかったこと
17 会いたい人に会っておかなかったこと
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19 結婚をしなかったこと
20 子供を育てなかったこと
21 子供を結婚させなかったこと
22 自分の生きた証を残さなかったこと
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24 神仏の教えを知らなかったこと
25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと
引用「死ぬときに後悔すること25」大津秀一/著

誰でもドキッとする項目があると思います。今の自分の心の洞察に加え、先人の後悔を活かして、新年も、本当の意味で良い一年にできたらいいなと感じています。



最後になりましたが、本年の書き初めは、「動」にしました。心が動くことを大切に、そして、体もよく動かして元気な一年にできたらいいなと思います。