2020年8月

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皆さん、こんにちは。お盆も明けて、街のお店のお洋服も秋色に変わって来ました。今年の季節も半分が過ぎようとしていますね。
私は、この時期になるとつい、まだ早いのに食欲の方も「秋」モードに入ってしまいます。そして、気になる代表が「さつま芋」です。「焼き芋」「蒸し(ふかし)芋」「大学芋」…。どれも甘くてほっこりして大好きなのですが、今日ご紹介したいのは、「さつま芋餅」です。

「さつま芋餅」が日本の食卓でどれくらいスタンダードなものなのかは分からないのですが、私にとってはよく母親に作ってもらった思い出の味の一つです。「今日のお昼ご飯、何にしようか?」と聞かれたときに、「さつま芋餅!!」とねだって、蒸したさつま芋とお餅を妹たちと順番に麺棒で突いていたのが懐かしく思い出されます。

あまりスタンダードではないかもしれない「さつまいも餅」なのですが、作り方は簡単です。

さつま芋と、切り餅もしくは、糯米を一緒に蒸して、水をつけた麺棒で突いて、さつま芋を好みの加減に潰して餅と混ぜ、ちぎって丸めて、砂糖や塩を少し混ぜたきな粉をまぶすだけです。

余計なものの入っていない自然の食材を使ったおやつの中では、優しい味なのに甘みが強く子どものおやつにもとてもお薦めです。さつま芋と糯米の元来の甘みも強い上に、蒸すことで更に甘みが増しますので、きな粉に混ぜる砂糖や塩は控えめが素材の味や甘みが感じられてお薦めです。

私は、農家になって、自分たちで作った糯米で作れるようになってからは、この「さつま芋餅」がより好きになりました。是非、皆さんもこの秋、「さつま芋餅」に挑戦されてみてはいかがでしょうか。
皆さんこんにちは。長い梅雨が明け、本格的な暑さがやってきましたね。色々あった上半期も締めくくりの時期に入り、大人の夏休みももう目の前ですね!!

最近、近所の観光スポットである八幡堀をお散歩していたら、以前から気になっていたのにタイミングが悪く閉まっていることが多かった『木のアクセサリー屋さん』が開いているのを見つけました。家族を誘って、勇んでお店に入ると、看板やパンフレットで見た通り、カラフルで綺麗な色の木のアクセサリーや数珠がキラキラと並んでいました。あまりにそれぞれくっきりとした色の違いがあるので、塗った色なのかと思っていたら、全てが実際の木の色だと教えていただきとても驚きました。そして長いこと、一つ一つを眺めたり、お店の方とお話ししたりとても楽しい時間を過ごさせていただきました。

私は、小さい頃から自然が大好きです。虫も草花も好きですし、水辺も大好きです。そして何より特に好きなのが、「木」です。小さい頃から木登りが大好きで色んな木に登ってきました。木の枝を集めて基地を作ったり、木の枝を振り回して戦いごっこをしたり、木の枝で工作も沢山してきました。大人になってからも、「木」への愛は止まることは無く、家の床、家具、子どものおもちゃ等の大きなものから、まな板やボールペン等小さいものまで自然と「木」でできたものを集めてしまいます。腕時計まで、木のものを選んで買ったこともあります。

お堀沿いに並ぶ木の下を歩くのがとても気持ちよいのも、木のアクセサリーに心躍るのも私にとっては自然なことです。私に限らず、「木」が好きという方の「好き」という感情は、ただの「好き」では無いと思うのです。特に「木」が「好き」と認識していない方でも、たいていは、「木」が「嫌いじゃない、どちらかというと好き」だと思います。触ったり、香りを嗅いだり、見たりすると「安心する」「嬉しい気持ちになる」ものなのではないでしょうか。それは、どこか単なる「好き」を超えたものだと思います。

そこでふと、私たちにとって、「木」が特別感のある存在であるのは一体どうしてなのだろうと疑問に思いました。
木から私たち人間が感じるのは、「温かくて懐かしい感じ」「包まれるような優しい感じ」です。そして、「奥深く、温かくて力強い生命力」を感じているのではないかと思います。

私がピンと来るのは『「自然のパワー」を感じる』という感覚です。見えるところ、手に触れるところ、香りを感じられるところに木があることで、「自然に還るような力をもらえる」と感じるのです。

この夏、「7つの習慣」という書籍を読み、皆で学んでいるのですが、「終わりを思い描く」ということについて、ここのところずっと思いや考えを巡らせています。この連載コラムの名前、『NEW VOYAGE!!』に喩えて言うならば、この航海の目的地を明確にして、目的地(真北)を指すコンパスを持った状態で航海するということです。

人間以外の生命体の一生における目的地、真北はきっと明確で、そこを指し示すコンパスを持ち合わせることは当たり前にできていることなのだろうと思います。それは、無意識に刷り込まれた、子孫を増やすこと、その為に個の生命体を維持すること等なのでしょう。
人間の目的も同様に、子孫を増やすことつまり、人間という生命体を繁栄させることであることに違いは無いのでしょうが、人間は、想像力や感情が豊かである故に、それだけでは満足できないようにできているように思います。

生命体の繁栄以外にも、達成したいこと、すべきことがあるのではないかと考えることが多くの私たち人間にとっては自然なことなのです。自分が生涯を終える時、「幸せだったな。」「楽しかったな。」「充実してたな。」「感謝の気持ちでいっぱいだな。」と思うことができるのは、どんな生き方をすることなのでしょうか。何を目的として生きればそんな生き方になるのでしょうか。その答えがパッと出てきているようで、はっきりとしないようなもやもやした気持ちになる方は多いと思います。

しかし、本来私は私の生きる目的を知っているはず、すでに心の中に持っているはずだと思うのです。ただ、日々の雑踏に気持ちを奪われる中で、コンパスをどこかに忘れてしまい、埋もれてしまっているだけなのだと思うのです。そして、その心のどこかに置き忘れてしまって、埋もれてしまったコンパスを見つけ出すのは難しい事ではないと思うのです。必要なのは、私自身が自然の姿に戻り、元々持っている心や力を取り戻すことだけだと思うのです。

私は、免疫を強く信じているので、自分自身の力でコンパスを見つけ出すことができるとは思うのですが、それを助けてくれるものが自然のパワーだと思うのです。自分の外部の自然のパワーに触れた時、自分自身の自然の姿に簡単に還ることができ、自然の力が内側から湧いてくるのを感じるのです。

私にとってはそれは、「木」のパワーです。

そしてもう一つ、「子どもの笑顔」です。そしてまた、全ての自然のパワーです。そして、「大人の笑顔」とも言えます。人間も自然の一部です。ですから、大人でも自然な人は魅力的です。大人になっても自分本来の姿を保っていることは、自然と同様の魅力・パワーがあると感じます。

自分自身の持っている心のコンパスをしっかりと手に持ち、失いそうになったり壊れかけたりしたら、自然のパワー、そして自分自身のパワーを借りて、自分のパワーを取り戻し、心のコンパスを良く見える様に磨き、メンテナンスをして、本来の自分に還って、自分にしかできない航海を楽しんでいきたいなと思うのです。自然界に住む私たち人間1人1人も、自然のパワーに積極的に触れて、自分のコンパスを探し出してしっかり握り、よい航海をしていただきたいなと思います。