「自然環境に感謝しよう、そして地球の悲鳴に耳を傾けよう~社会貢献よりも、SDGSよりももっともっと大切なこと~」

「自然環境に感謝しよう、そして地球の悲鳴に耳を傾けよう~社会貢献よりも、SDGSよりももっともっと大切なこと~」
太陽がぽかぽかと照り、すっかり春の気候になってきましたね。春日和は、とても気持ちが良く、自然とわくわくして、外に出たくなりますね。

布団やシーツのお洗濯、お散歩や公園で遊ぶ、縁側でお昼寝・・・人それぞれ色々したいことがあると思います。

私たち農家にとっては、育苗や田植え等忙しい時期の始まりですが、春になると自然と体が動き出して皆テキパキ農作業に励んでいます。

そんな春ですが、山や公園、近所を歩いていると、至る所に春に向けて準備する自然の姿があり、春が突然やって来るのではないことが分かります。

2週間前、山を散歩していると木々の枝に、今にも葉が出てきそうな冬芽が沢山見えました。桜に先駆けて、梅の花も満開でとても綺麗でした。

逆に、この寒空の下の低い木に、小さな蝉の抜け殻がビッシリ付いているのを見つけて驚いたりもしました。よく見るアブラゼミの抜け殻よりもうんと小さくて、どの蝉の抜け殻か分からなかったのですが、調べてみるとヒグラシの抜け殻でした。楽しくなってしまい、持って帰って、花瓶に木の枝を活けて、そこに付けて飾ってしまいました。



半年以上前の命の息吹を感じられることは、とても楽しい体験でした。

最近私はよく、自然環境について考えます。少し前、ゴミ拾いをした時、始める前は「役に立ちたい」と考えていました。でも、ゴミ拾いを終えた後、ただ、自分の生活の始末をしただけなんだと気が付き、「役に立つ前に、当たり前のことができていない自分」に気付くことができました。

ゴミを拾っていると、勿論わざと投棄された悪質なゴミもあるのはあるのですが、意外にも意図的ではないゴミというものが多いものだと気が付いたからです。

例えば、植木の間に落ちていた軍手。お手入れやゴミ拾いをして下さった方が、置き忘れたり落としたりしてしまったのではないかと感じました。他にも、煙草を落とさない様に配慮されている方が落としたであろう灰皿ケースや、きちんと留め具で留められた中身の残ったお菓子の袋。風で飛んで来たであろう紙切れやビニール袋。

「私が落としてゴミになっていたかもしれないもの」だと感じました。

「私は一度もゴミになるものを、忘れてきたり、落としたことがない」という人がどれくらいいるのでしょうか。人が生活すれば、その分だけ意図するにせよしないにせよ、ゴミは増えるし、その一部は町に転がる結果となる。落ちているゴミは、決して「私ではない悪い誰か」が落としたものでは無いのだと感じます。

先日、環境に関するイベントに参加した際、沢山の環境保護団体やSDGSに取り組む農家や学生が、様々な楽しく為になるワークショップや展示をして下さっていました。

その中で、「買い物は投票なんだ」という素敵な絵本に出会いました。



子どもたちに、自然環境と私たちの毎日の一つ一つの行動の選択がどう関わっているか、もっというと、どう行動すれば地球の自然環境が汚れて壊れていくのか、どう行動すれば少しでも汚さずに済むのかを考えてもらうきっかけにと思い、早速、購入しました。

しかし、読んでみて、子どもではなく、大人が読まなければならない、知らなければならないことだと痛感しました。

これまで自分の生活と地球環境の関係について、真剣に考えたことが無かった方にとっては、毎日食べているもの、洗剤、農薬、プラスチック製品…身の回りの全ての物が違って見えるようになるきっかけになると感じます。

私自身も、「社会貢献よりも、SDGSよりも、まずは知って、真剣に考えること」から始めたいと感じました。

そして、大好きなこの街、この国、この地球、この宇宙の環境がいつまでも豊かで、全ての生物が幸せに暮らせるように考えられる一人の人で在りたいです。